「疲れたー」
夕刻、村の宿に着くなり、開口一番、アルムがベッドに倒れ付した。
「ノヴァは大丈夫?」
「まだちょっと辛いかな……」
病み上がりのノヴァは慣れない(と思われる)山道でアルム以上に疲れを見せていた。
マントを脱いで身軽な格好になると、ベッドに腰掛けた。
「まだ体調も万全じゃないんだから、無理しちゃダメだよ」
「ゴメンね。予定が遅れているんじゃない?」
「大丈夫だよ、もともと気楽な一人旅のつもりだったし」
山小屋での出会いから、二人は一緒に旅をすることを決めた。
記憶を失ったノヴァはどうしたら良いかもわからない、アルムも一人旅に心細さを感じていた所で、この提案はお互いの望むところだった。
「そういえば聞いていなかったけど、これからどこへ行くの?」
「僕も旅を始めたばかりなんだ。まずは一番近い風の王都に行こうと思う」
ノヴァに残っていた記憶が一つの名前をはじき出す。
「風の王都って言ったら……フィルナリアだっけ?」
「そう、僕はそこへ洗礼を受けに行くんだ」
この世界には地水火風の一族それぞれの王都が存在する。
一族の中心地であり、そこに一族を統括する長が居るのだが、この世界において王都はもう一つの役割を担っている。
「洗礼ってことは……アルムは風の一族?」
ノヴァの疑問にアルムは首を振って答えた。
「実は僕は孤児なんだ。だから自分がどの一族なのかは知らないんだ」
この世界では魔法を使うものならば必ず王都を訪れる必要があった。
王都には一族がその加護を受ける精霊神と契約を交わすための聖堂がある。
洗礼はその聖堂で行われ、一族と精霊が一致していれば魔法の契約が完了する。
逆に言えば異なる一族が洗礼を受けても契約は行えず、魔法は使えない。
そのため、アルムのように出自を明らかにするために使われることもあった。
「ごめん……悪いこと聞いたかな?」
「気にしなくていいよ。だから僕は旅を始めたんだ。自分が何者かを知るために」
自分が何者なのか、それはノヴァ自身にも言えることだった。
結局、所持品もアミュレットと剣以外特別なものはなく、自分の身元がわかるものは何一つなかった。
「だからさ、ノヴァも頑張ろう。王都に行けば少しは情報が入るかもしれないしね」
元気付けるようにアルムは笑顔でノヴァに言った。
「ありがとう……ん…ちょっと眠くなってきた」
「ノヴァはまだ病み上がりなんだから休んでて良いよ。僕はちょっとやることがあるから」
「うん。わかった」
ノヴァがベッドに潜り込むとすぐに寝息が聞こえてきた。
アルムは起こさないようにそっとドアを開けて出て行った。
「さて……」
旅の同行者が増えたことについて、アルムは後悔していない。むしろ喜ばしいことだった。
しかし、その一方で困った事態も発生していた。
路銀の負担増加。
この旅のために十分にお金を貯めてきたつもりだったが今の所持金では二人で旅をするのには心もとない額だった。
ギリギリ風の王都までは持つかもしれなかったが、もし、自分が風の一族でなかったら旅はまだ続ける必要がある。
先のことを考えると今から出費を減らす工夫をする必要があった。
「ええ、宿泊費を減らしてくれって?」
急な申し出に宿の主人は夕食の用意をする手を止めて目を丸くした。
がっしりした体格に黒々とした髭を口の周りに蓄えた、熊のような男だった。
「何でも手伝いますからお願いします」
「そうは言ってもなぁ……」
宿の主人は困ったように頭をかいた。
「いいじゃないの」
奥から出てきた主人の妻が微笑みながら言った。
「子供の二人旅なんてなかなか関心じゃないの。ここは大人として度量の大きさを見せてあげてやりなさいな」
「いや、そうは言ってもだな……」
「どうせ人手は足りないんだし、一晩安値で雇えると考えれば良いじゃないの」
「ったく、おめぇの悪い癖だぜ。困った奴にゃあ直ぐに手を貸しやがって」
「こんな頑張ってる子を見捨てるような薄情な女になりたくないだけさね」
「ああ、わかったわかった」
苦笑して主人が両手を挙げて降参の意を表す。
呆れたような言葉だったがこれがいつもの関係なのだということは和やかな雰囲気を感じてわかった。
主人はアルムに向き直ると丸太のように太い手をアルムの肩に置いて言った。
「だがちゃんと働いてもらうぞ。これからが大変な時間なんだからな」
「はい!」
「はいよ、アルデ牛のロースできたぞ。3番のテーブルのお客だ」
「はい!」
次々と出来上がるメニューを片っ端からトレーに載せ、アルムは酒場を奔走する。
宿で経営する酒場は、村民の利用はもちろん、宿泊客の食堂代わりも勤めているために食事時は小さな村と思えない盛況ぶりだった。
「おう、坊主!その酒はこっちが頼んだ奴だ!」
「坊主、ワリィがつまみもう一品追加だ」
四方八方から掛けられる声、文字通り目の回る忙しさだった。
「……疲れた」
山道を歩いてきた疲れがここに着て一気に出た。
2時間ほどの仕事で膝ががくがくと震えていた。
「おう、次の料理ができたぞ。早く運べ!」
「は、はい!」
震える膝を奮い立たせ、カウンターに戻るアルムの目の前で、横から伸びた手が皿を取った。
「ノヴァ!?」
「僕も手伝います!いいですか?」
声を掛けられた宿の主人は「好きにしろ!」と言って再び調理に戻った。
ノヴァの参入で、相変わらず忙しくはあったがアルムの負担は軽くなった。
「アルム、大丈夫?」
仕事がひと段落着いたところでノヴァが座り込むアルムに声を掛けた。
「さすがに僕も疲れたよ……ノヴァは?」
「うん。一眠りしたら良くなったよ。それよりアルム」
それは咎めるような口調だった。
「お金が足りないなら言ってよ。僕だって協力する。だってこれから一緒に旅をするパートナーでしょ?」
「はは、そうだね」
苦笑するアルムの上に影が落ちた。
見上げると宿の主人が両手にコップを持って立っていた。
「ほらよ、お疲れさん。後はいいからお前たちも飯にしな」
冷たい飲み物を渡しながら顎で奥に下がるように促す。
テーブルには作りたての二人分の食事が湯気を立てて置かれていた。
疲れきっていた表情が打って変わって晴れやかになり、礼を言うと二人は奥の部屋へと消えていった。
「アンタもなんだかんだ言って子供にゃ甘いねぇ」
「ちっ、見られてたか……」
「それよりアンタ。外、また降り出したみたいだよ」
「なんだ今晩もか?……あちゃあ……薪割りして出したままだった」
「仕方ないねぇ、雨よけかけるだけだからあたしが行って来るよ」
「すまねぇな」
店の壁にかけてあった雨具を羽織ると主人の妻は出て行った。
「さて、朝食の仕込みでもしておくか……」
と、腕をまくったその時、店の入り口が再び開き、主人の妻が姿を見せた。
「ん、やけに早かった……な!?」
「アンタ……」
「おっと……静かにしてもらおうか」
主人の妻の後ろから二人の男が姿を現す。
そのうちの一人の手には短剣が握られ、主人の妻の首に突きつけられていた。
「わかっているだろうが、妙なことをすればこの女の命はない……」
騒然としていた店内が男の一言で静まり返った。
外では激しさを増す雨の中、雷が鳴り始めていた。
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