強い風、叩きつけられるような激しい雨。
嵐の中を身体を引きずるように、少年は暗い森の中を歩いていた。
雨具もなく、服も水を吸い、体温が奪われて身体が震える。
闇の中でも鮮やかな金色の髪の毛も雫をたらしていた。
「…………ここは……どこ……」
少年の口から不意に、そんな言葉が漏れた。
周囲には大樹が立ち並び、風を受けて少年をおびやかすかのように枝が揺れる。
猛烈な雨に木は雨除けの意味を成さず、深緑の空から水が滴った。
全く状況が掴めない。少年は半刻ほど前に目を覚ました。だが、その時には全ての記憶を失っていた。
名前はおろか、今自分がどこにいるのかすら全く分かっていないのだ。
残されていたものは一振りの剣と星の紋章が刻まれたアミュレットのみ。
「ぐ……」
割れる様な痛みに少年がうずくまる。
何かを思い出そうとすればすると頭が割れるような痛みを放つ。
「くそっ!」
忌々しそうに木に拳を叩き付ける。
「うわあっっ!!!」
そのとき突然、強風が彼を襲った。
身体を支えようと踏ん張ったが、風に煽られて少年は倒れた。
二回、三回と何度も転がる。情けないがその時やっと自分がマントをまとっていることに気付いた。
大木に背中から激突して息が詰まる。少年は下に広がっていた泥水に落ちた。
少年は弱々しく身体を起こして大木に体を預けた。
だが、それ以上体が動かすことができない。吹き付ける風は容赦なく彼の全身に雨水を降らせる。
体温の低下とともに身体から力が抜けていく、立ち上がる気力がもう無い。
(このまま死ぬのかな……)
最後の時でも目に浮かぶ過去すらない。
自分が誰なのか。ここがどこなのか。どうしてここにいるのか。疑問だけが巡る。
その時、閉じかけた視界の先にぼんやりと明かりが灯った。
「…………くっ……」
歯を食いしばって立ち上がる。
最後の力を振り絞り立ち上がると今にも倒れそうな足取りで少年は歩き始めた。
「ふ〜……助かった」
アルムは扉にもたれ掛かって盛大にため息を付いた。
ぽたぽたと服から雫が落ち、乾いた床に黒く跡を残す。
突然の嵐で雨具を出す暇もなく、彼の服も荷物もずぶ濡れだった。
ただ、森の中にひっそりと佇んでいるこの小屋を見つけられたのは運が良かった。
火をたく場所や簡易な寝具などが備え付けてあり、どうやら自分の様な旅人の為の休憩施設らしく、建物にはかなりの老朽が見られたが幸いにも雨漏りはしていない。
「……止みそうにないか」
窓から外の様子を伺う。雨の勢いが衰えそうな気配はなかった。
ここから数キロ先にある村で宿泊するはずだったが、この嵐ではここにとどまるしかないようだ。
とりあえず濡れた衣服を乾かそうと火を起こそうとしたが、取り出した道具が全て濡れていて少年は舌を打った。
こんな時、火の一族ならば魔法で火を付けられる。
水の一族ならば水を吸い上げて乾かすことも可能だろう。
しかし、アルムにはそれが叶わない。彼は魔法がまだ使えないのだ。
幸いにも小屋には火付け道具も残されていたのでそれを使って火を起こし、体を毛布に身を包んだ。
その時、不意にドアが叩かれた。
風と木々の揺れる音に混じって人の声がかすかに聞こえる。
アルムは起き上がり、ドアに手をかけた。
バタン!
「うわっ!?」
鍵を開けた途端ドアが勢いよく開き、雨風とともに一人の少年が倒れ込んできた。
慌てて手を伸ばして受け止める。
それは自分とそれほど歳の変わらない少年だった。
だが、風雨にさらされたその身体は冷え切り、手は振るえ、がちがちと歯も鳴っている。
金色の髪と服は泥水に汚れ、憔悴しきったその顔は命の危機すら感じさせる。
「…た……すけ……」
消えてしまいそうな声で言うと、少年は気を失った。
「大丈夫、しっかりして!」
アルムは毛布を取ると彼の体を包み、薪をくべて焚き火をさらに燃やした。
「…………う……」
朝日が顔に当たる。その眩しさに少年は目を開けた。
昨夜の嵐はすっかり収まり、外は澄んだ初夏の空が広がっていた。
目の前には焚き火が赤々と炎を揺らしており、その傍らに薪をくべている黒髪の少年がいた。
身体を起こすと彼もこちらに気付いて心底嬉しそうに笑顔を向けた。
「気が付いたかい?」
「……うん」
「良かった。昨日死にそうな顔で飛び込んできた時はどうしようかと思ったよ」
身体はもう重くない、むしろ意外なほど快調だった。
「僕はアルム。よろしく」
「助けてくれてありがとう。アルム」
アルムと名乗った少年は見た目からして大体同じくらいの歳だと思われた。
その人懐っこい笑顔に少年も警戒心も抱かず、差し出された手を少年もまた笑顔で握り返した。
「良かったら君の名前も教えてくれないかな?」
アルムとしては何てことのない言葉だったのだろう、だが、その途端、明らかに少年の表情が曇った。
そして、次に返ってきた少年の言葉はアルムを絶句させた。
「……知らない」
予想だにしていなかった答えにアルムはぎょっとする。
「知らないって……どういうこと?」
少年はため息をついて答えた。
「何も覚えてないんだ。昨日の夜から前のことは」
驚くアルムの頭に、一つの言葉が浮かんだ。
「それって……記憶喪失ってやつだよね」
その言葉を聞いた少年は愕然とした表情でアルムを見つめ返した。
アルム自身、想像もしていなかった出来事に戸惑い、言葉をなくしている。
「僕……これからどうしたらいいんだろう?」
沈黙に耐えかねた少年が呟くように言葉を発した。
「えっと……何か名前のわかりそうな物ってないのかな?」
少年は自分の懐を探る。彼が取り出したのはアミュレットと一振りの剣だった。
アミュレットは星の紋章が刻まれており、恐らく魔力増幅などのアイテムと思われた。
アルムは続いて剣を抜いてみた。美しい刀身は星が散りばめられたかのように輝きを放ち、湖面に移る月のようにアルムの顔を映した。
「……あれ?」
少年の側から何か見つかったみたいだった。
「このプレート……」
少年が指し示したのは鞘に取り付けられていた金属のプレートだった。
よく見ると文字が書いてある。
「N・O・V・A……『ノヴァ』これって……」
「君の名前かもしれないね」
「ノヴァ……ノヴァ……」
何度も繰り返し唱えてみる。
不思議と懐かしさを覚える名前だった。
「……うん、そうかもしれない」
「ようし、君の名前はノヴァに決定!」
アルムが唐突に叫んだ。
ノヴァは自分のことのように喜ぶ彼の姿が少し照れくさかった。
「改めてよろしく、ノヴァ」
「うん……僕はノヴァ。よろしく、アルム!」
なんとなくまだ違和感は残るが、それはまだ記憶を失っているためだと思う。
ノヴァは今度こそ、満面の笑みで手を取った。
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