アカデミーの中庭にある小さな泉のほとり、ローラントは水面を静かに眺めていた。
「どうかね、今年の受験生は?」
そんな後ろ姿に声をかける初老の男、名をゾーンと言った。
ゾーンはローラントの隣に立つと同様に水面を眺める。
そこには遥か別の場所で戦う受験生の様子が映っていた。
「期待できそうですよ。まあ…脱落者も目立つようですが」
女性のように端整な顔が柔和に微笑む。
ゾーンはそんな子供のような邪気の無さに肩をすくめた。これで自分より年上なのだから恐れいる。
「しかし今年の試験はなんと言うか、多少ハードルが高いと思うのだが?」
映像の一角でまた一人の受験生が脱落した。
彼もまた、アカデミーの生徒としては十分な能力だった。
「まあ、今年もいつものような試験をするつもりだったんですけど、少し気になる姓を見つけたもので」
「気になる姓……かね?」
「ええ、さすがに通常の試験では合格確実ですから。それでは他の受験者に不平等と思いまして」
「『箱庭』を使ってふるいにかけたか……で、それは?」
ローラントが杖で地を軽く突く。泉が二人の姿を映し出し、彼は二つの名を告げた。
「何と」
誰もが知っているその名に思わずゾーンも身を乗り出して泉を見つめた。
「まあ、正直に言うと、この子達の力を見たかったというのが本音です」
「悪趣味だな。入学者が二人だけになっても知らんぞ」
ふんと鼻を鳴らし、皮肉めいた言葉をいい放つ。
「大丈夫ですよ。たった二人のために『箱庭』を使うほど愚かではありません。それに……」
ローラントは自身ありげに微笑む。
「言いませんでしたか?今年は期待できると」

ラグナは後ろを振り返るだけの余裕も無いほど全力で走っていた。
茂みが多いお陰でスピードが上がらないとはいえ、それでも魔獣との距離をギリギリ保っていた。
しかし、走りながらも魔獣は容赦なく火球を吐き出し続ける。
火球が舞う。頭を下げて避けるが髪の先が焦げた。
さらに飛ぶ火球が足元に着弾し、爆風で吹き飛ばされる。
体勢が崩れたところに黒い影が跳ぶ。
立ち上がろうとして足に痛みが走る。吹き飛ばされた時に捻ったか。
「くそっ!」
ラグナはとっさに転がって避けた。魔獣は自分の真横、太く張り出した木の根に噛み付いた。
バキッと乾いた音を立て、強靭な顎に根が粉砕される。
寒気がした。あんな顎に捉えられたらただではすまない。
こちらに向き直った魔獣の目は不気味に赤く輝き、嘲うように口元が釣りあがった。
(しまった……)
歯噛みする。跳んだ方向が悪かった。ラグナの背には大木。これでは逃げられない。
剣を両手で握って構える。もはや正面突破しか道は無い。
じりじりと魔獣は獲物との距離を詰める。自分の間合いにはまだ遠い。
足を捻っているために自分から飛び込めない。できる事は一つ。魔獣が飛び掛ってきたのに合わせて剣を振るうだけだ。
魔獣が疾(はし)るのを待つ。チャンスは一度、神経を研ぎ澄ましてその瞬間を待つ。
顎が開いた。口の中でメラメラと炎が燃え上がる。次の瞬間、溜めに溜めた今までに無いレベルの特大の火球が飛んでいた。
ラグナは飛び掛ってくると思っていただけに完全に計算外だった。
足の痛みを堪えて力の限り横に跳んだ。背にしていた大木が一瞬で炭になる。
受身が取れず、転がりながらも魔獣へ目を向ける。
――そこに魔獣はいなかった。
「危なーい。上!」
遠くから飛んだ声で上を向く。
唾液を撒き散らし、魔獣の牙が目の前にあった。
(しまった――!!!)
次の瞬間、間違いなく魔獣は自分に食らいついたはずだった。
頭か首に喰らい付き、仕留めた後にゆっくりとその肉を喰らうに違いない。だが、予測していた最初の痛みがない。
恐る恐る顔を上げる。目の前で魔獣が浮いている。否、目を凝らした。
透明なそれが日の光を反射し、姿を現した。
無数の氷柱が地面から突き出て四方八方から魔獣の体を串刺しにしている。
それはまさに、氷の槍による処刑だった。
しかし魔獣はまだ息絶えていなかった。
足を痙攣させながら貫かれたままで無理矢理動こうと身もだえしている。
しかし、獲物への執着を捨てておらず、ラグナをにらみつけると血で真っ赤になった口を開いた。
「今です!」
弾かれた様に剣を振るう。火球が放たれる直前、氷柱ごと魔獣を真っ二つに切り裂いた。
「…っはぁ!……はあ……」
ようやく緊張が解かれてラグナは大きく息をついた。
「大丈夫ですかー!」
声のするほうへ目を向ける。
草を掻き分けながら杖を抱えた女の子がこちらへと駆けて来た。
ピンク色の腰まである長い髪が特徴的な可愛い子だった。
答える気力が無かったのでラグナは手を上げて無事を告げた。
「良かった〜、間に合ったみたい」
ほっと大きな息を吐く。どうやらさっきの氷柱は彼女の仕業らしい。
「初めての魔法だったけど成功してよかった……」
「……待て」
間違いなく、たった今ラグナは聞き捨てならない言葉を聞いた。
彼女も失言に気づいて口を押さえるが遅かった。
「じゃあ何か。加減も分からずに魔法を使ったってのか?」
「えっと……はい。実戦で使うのは初めてで……」
申し訳なさそうにうつむいて彼女は答えた。
いまだ氷柱が残る魔法の跡を見た。
魔法が使えないラグナだが知識は人並みにある。
明らかに先ほどの魔法は簡単に使えるレベルではないものだ。
大気中の水分を凝結させ、なおかつ槍状にして無数に生成し、一箇所に集中させることは高度な魔力のコントロールが要求される技だ。
この歳でこれほどの魔法を操ったことは瞠目に値するが『初めて』という彼女の言葉はほんの少し制御を誤れば自分もあの氷柱の巻き添えになっていた可能性は十分あったということであった。
全身串刺しで魔獣と一緒にグロいオブジェと化した自分の姿を想像してしまい、気分が悪くなる。
「ほ、ほら。でも、成功したんですから」
青い顔をするラグナにぶんぶん両手を振って弁解するが弁解になっていない気がする。
「……ま、いいけどな」
ため息をつく。深く考えず結果オーライと言うことにした。
「何にしても、助かったよ。サンキュ」
「はい!」
ラグナが怒っていないとわかり、彼女はようやく笑顔を見せた。
「あ、あのっ!」
立ち上がろうとしたラグナの服を引っ張って彼女は呼び止めた。
「あの……もしかして受験生ですか?」
「ああ、そうだけど?」
いぶかしげに答える。
「ふ…………ふえええええええええん!」
「な、なぁ!?」
突然女の子が泣き出し、面食らったラグナは狼狽する。
「よかった〜、ようやく会えたぁ〜」
「お、おいちょっと!?」
「目が覚めたらどこか分からない森の中だし、一緒に来た知り合いも居なくて一人ぼっちだし、モンスターはたくさん居るし……」
さらにジワリと彼女の目に涙が浮かぶ。
「うええええーん!」
「わ、分かったから落ち着けー!」
これは違った意味でモンスターより厄介だった。
ともかく泣き止ませようとラグナは彼女に近づいた。その時だった。
「うおぁっ!」
とっさにのけぞる。二本のナイフが目の前を通過し、木に突き刺さった。
「な、なんだ…!?」
飛んできた方向を見る。明らかに今のナイフには殺気をこめたものだった。
木の陰から静かに男が姿を現す。年齢の程は同年代か少し上だろうか。
茶色の髪をワザとらしく掻き分けて鋭くラグナを見据える。右手には今飛んできたナイフと同形のものが握られていた。
「誰だ!?」
「女の子の泣き声が俺を呼ぶ……」
「……は?」
「こんな森の中で誰も来ないと思ったんだろうが残念だったな、アンタ」
「え…え…?」
女の子も状況が分からずきょろきょろと周りを見る。
「さあ、お嬢さん。俺が来たからにはもう大丈夫、逃げるんだ!」
ビシッとナイフをラグナに突きつけ、青年はポーズをきめた。
「…………」
「…………」
「…………」
何とも微妙な空気が三人の間に流れた。
「……あれ?」
思いのほか反応が薄いので青年は首をかしげた。
「……何の話だ?」
「もしかして……完璧に間違っていた?」
二人は一緒に頷いた。
「ちぇ〜、せっかくカッコ良くきめたつもりだったのに」
「で、結局何なんだよ?」
「女の子の泣く声が聞こえたから襲われてるのかと思って」
「勝手に暴漢にするなっ!!!」
ラグナが事情を説明すると青年はげんなりとうつむいた。
「なんだよ〜、紛らわしいことするなよ」
「あうう……ごめんなさい」
女の子はばつが悪そうに顔を赤くして頭を下げた。
「いや、こいつが勝手に勘違いしただけだから」
「そうそう、君はなーんにも悪くないんだから」
男は微笑んで頷く。どさくさに紛れて女の子の手を握り熱視線を送っていた。
完全に軽い性格のようだ。
女の子はというと勢いに押されて苦笑するしかなかった。
「君達も受験生なのかな?」
「ええ……まあそうです」
「へー、そいつは都合がいいや。良かったらパーティ組まないかい?」
「パーティか?」
「こんな物騒な森の中だ。一人より三人の方が安全だろ?こんな可愛い子と一緒に冒険できるのも嬉しいしね」
「あはは……」
女の子は苦笑する。だが、後半はともかく、言っていることはもっともだった。
「わかった。俺は問題ない」
「オッケー、話がわかるやつで助かる。君は?」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
女の子もぺこりと頭を下げた。
「んじゃ、話し合いもまとまった所で自己紹介でも。俺はディンストン=ヒルセイント」
「俺はラグナ=ファルサーガだ。よろしく」
「あ、私はミーナ=クレイファルスって言います」
「ふーん、ミーナちゃんか。いい名前だ……え?」
ディンストンの笑顔が固まる。
「何だって……?」
ラグナも自分の耳を疑った。
ハッとミーナが口に手をやる。
「「ク、クレイファルスーーーっ!?」」
二人の絶叫にミーナが肩を縮こまらせる。
その姓は、かつて魔王を倒した四勇者の一人と同じものだったのだ。





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