PART2
「おー、良い部屋じゃん!」
荷物を降ろして窓を開けると都会の喧騒から離れた静かな山林が広がっていた。
日も傾き、夕日が葉を通して部屋に差し込むその様はさっきまでの勉強漬けの一日を忘れさせるほど気持ちの良いものだった。
部屋は一つの場所に7人と少し大所帯だが詰めれば寝れないことも無い十分な広さだ。
早速翔は備え付けのポットでお茶を注ぎ、茶菓子に手を伸ばしていた。
「次、何するんだ?」
同室になったクラスメイトの一人、月影陽が誰ということも無く聞いた。
ちょうどスケジュールを見ていた純が答える。
「えっと……夕食の前に風呂みたいだね。一階の大浴場だって」
「風呂か〜。今日は疲れたもんな〜」
翔が肩を回すと少し音がした。書き過ぎで手首も痛い。
「勉強合宿」の名の通り、この日は着いてすぐに簡単な学力テスト、校歌の練習などを行い、受験に開放された上、入学ボケの鈍った頭にはつらいものがあった。
だが、だからこそこの合宿は生徒に喝を入れる意味もあるのだろう。
「けど随分俺が当てられてたよな。なんでだ?」
翔が不思議そうにつぶやく。陽は苦笑しながら言った。
「……分かる気がする」
到着からあれだけ目立てば目を付けられるのも当然である。
名前も五十音順で早い方なので当てるのにはうってつけだった。
「ま、良いか」
残ったお茶をグイッと飲み干すと翔は立ち上がった。
「風呂で疲れを取るかー!」
「あ、その前に俺もお茶一杯飲もうっと」
陽も湯飲みを取り、お茶を注ぐ。
そして、茶菓子に手を伸ばして気づいた。
「……ん?」
そこにあるのは人数分の茶菓子の包み。
中を見る。全部中身がなかった。
勢いよく振り向く。既に犯人の姿は失せていた。
「こらー、大鷹ああああああ!!!」
「まあまあ、許せ。な?」
逃げた翔は脱衣所で見つかり、同室のメンバーに羽交い絞めで捕獲されていた。
「あまりにも美味かったからつい手が進んで……」
「おーいみんな。こいつこのまま風呂に放り込もうぜ」
「悪かったって、な?」
メンバーの一人が手を上げる。いつの間にかリーダーの陽が指名する。
「頭から落としたほうがいいんじゃないか?」
「あ、その案採用」
「いや待った!いや、待って下さい!」
「まあそう言うな。温泉のお湯をたっぷり飲ませてやるから」
「冗談だよな、な?」
担ぎ上げられたまま翔は苦笑する。
陽が親指を立てる。翔は安堵して微笑んだ。
そしてそのまま、ニッコリ笑って陽は親指を下に向けた。
「捨てろ」
「いやぁぁぁぁ!!!」
ばっしゃーん!と飛沫を上げて湯柱があがった。
一連のやりとりにただ純は乾いた笑いを浮かべていた。
(うわー、広〜い!)
(露天風呂なんだ〜!)
男達の動きが止まる。
思わず全員が衝立を見た。
「この向こうって……」
「女湯なんだね」
純の言葉に数名の目が輝いた。
「な〜ん〜だ〜っ〜て〜!?」
「うわぁっ!」
沈んでいた翔が海坊主のように浮上してきた。
垂れた髪がワカメのように張り付いて余計に怖い。
「ふっふっふ……これぞ露天風呂の醍醐味」
「気が合うな、大鷹」
先ほどまでのいがみ合いはどこへやら、あっという間に翔と陽は意気投合した。
「行こうか兄弟」
「ああ、あの先には俺たちのロマンがある!」
二人を含め、クラスの何人かが衝立の前に立つとほとんど掴む所のない衝立を音も立てずに上りだした。まるでヤモリである。
「ちょっと、危ないよみんな!」
「純よ……なぜ俺達がこんな危険な真似をしてまで覗こうとしていると思う?」
「えっ……?」
「「そこに女湯があるからさ!」」
「はぁ……どうなっても知らないよ」
心配する純をよそに、二人は衝立を上っていった。
「うわっ、すっごーい。みんな来て来てー!」
1−Bの女子の一人が広い露天風呂を見渡して歓声を上げた。
「へー、この宿って随分良い温泉あるのね」
服を脱ぎ終えためぐみが続いて出てきた。
他の女子も次々と姿を現す。皆広い露天風呂を見て歓声を上げた。
「あ、みんなちょっと待ってて」
浴場へ入ろうとしたクラスメイトを制し、めぐみは風呂の横にある衝立の前に立ち、思いっきりそれを蹴飛ばした。
(わぁーーーー!)
どこかで男の悲鳴と複数の水音が聞こえた気がした。
「さ、もう良いわよ」
めぐみはそう言って手招きをした。
「何してたの、木々原さん?」
「ん、虫よけ」
あっけらかんとめぐみは言い放った。
その向こう、男湯では男たちが湯に浮かび。
「だから『危ない』って言ったのに……」
純は予想通りの結果にため息をついていた。
「な、なるほど……そういう意味だったのか」
「くっそー!あの裏切り者!」
スパカーン!と小気味良い音を立ててタライが翔に命中して再び翔は沈んだ。
(いつ協力者になったのよー!)
どうでも良いが衝立を挟んだのに物凄いコントロールだった。
「ちっ……ならば……」
翔は壁に張り付いた。しかし今度は上ろうとしない。
「あいつ何やってるんだ?」
ようやく復活した陽が翔を指して聞く。
「多分……穴を探してるんだと思う」
「よくやるな。俺はもうやめとく」
「ふふふ……お!」
しばらく経つと翔が屈み込んだ。どうやら見つけたらしい。
「さーて……」
片目を瞑り、ゆっくりと穴へ近づけた。
プスッ……
「んぎゃあああああああ!!!眼、眼ええぇぇ!」
右目を押さえて翔がのたうち回る。
「……向こうもよく翔の行動が分かるな」
「まあ……付き合いが長いから」
純の表情に影が指す。様々な思いがよぎっている様だ。
それ以上は聞かない方が良さそうなので陽は追求するのをやめておいた。
「さて、もう上がるか」
「そうだね」
純と陽は今だ転がりまわる翔を放置し、そそくさと風呂場を後にして行った。
「ふっ……まだまだ甘いわね」
めぐみが衝立の向こうで誇らしげに人差し指を立て、ガンマンのように指先をフッと吹いた。
「木々原さーん。そろそろ出ましょう」
「あ、うん!今行くー!」
(くっそー!)
性懲りもなく翔の声が聞こえた。
しかし、女子の入浴はこれで終わりだったのでこれ以上は誰も覗かれる心配はない。
最後になっためぐみも足早に浴場を後にした。
「俺は負けねぇー!」
そんなことも知らない翔は既に誰も居なくなった風呂場で独り、隅に屈んで覗きを続けていた。
「おお……」
その甲斐あってついに湯気の向こうに人影を捉えた。
薄い湯気の向こうに透き通るような白い肌が見える。
無駄な肉がなく、見事なまでの細身。濡れた肌は瑞々しく輝いていた。
薄白い壁の向こうにある桃源郷を夢見て翔の胸が高鳴る。
と、風が吹く。湯気が吹き飛んで姿が見えた。
「うがっ……」
確かに白い肌、無駄な肉もなく、腰は折れそうなほど華奢だ。それは間違いない。
だが、そこに見えたのは全てが老人。若い女性などひとりとしていなかった。
「ぎゃあああああああああああ!!!」
「ねえ、翔ったらどうしたの?」
夕食の時間となったが、妙に物静かな翔を不気味に思い、めぐみは隣の純に尋ねた。
「さあ……僕にもさっぱり」
「……何があったのかしら?」
「ああ……茶がうまいのう……」
あまりのショックに現実逃避した翔はしばらくの間、ジジイと化していた。合掌。
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