PART1
「それじゃあ、行って来るから」
純は靴を履くと、二人の弟に振り返った。
「おう」
「うん、行ってらっしゃい兄さん」
清心学園高等部では、入学後三日目に勉強合宿が行われるのが恒例だった。
予定は二泊三日。自然豊かな高原地のホテルに宿泊し、新しい友達との交流と恵まれた環境での学習が目的だった。
そして、今日はその出発の日だった。
「火の元には充分気をつけて。戸締りもしっかりするんだよ」
「うん、わかった」
「それじゃ、行ってきます」
三日分の勉強道具と着替え、洗面用具などを積め込んだ少し大きめのボストンバッグを担ぐと純はドアノブを握った。
「あ、そうそう」
ドアを開ける手を止め、純は二人に再度振り返った。
「もしお金が必要になったら戸棚の封筒に幾らか入れておいたから」
「ああ、解った。そっちも頑張ってな」
「じゃ、行ってくる」
満足そうに頷くと純はドアを開け、手を振る二人に手を振り返しながらドアを閉めた。
「これで二日間二人だけだな」
「そうだね」
思わず表情が二人そろって緩む。
純は長男であり家長であるので、弟二人の親代わりも務めていた。
そのため、しつけもそれなりに徹底しており、夜更かしなどは大晦日など特別な日でもない限り許してはくれなかった。
しかし、今日はその純が居ない。
この家がまさに二日間は自分達の城なのだ。
「よし、今夜は遊ぶぞ!」
「おーっ!」
「そうそう、二人とも…」
「「わーっ!!??」」
とっくに去ったはずの純が再び戻ってきたので二人とも跳び上がるほど驚いた。
「もしも、災害があったらすぐに僕が止まっている所に連絡をするんだよ」
「う、うん。解った」
「お、おう。番号はメモ帳にしっかり書いといたから」
「何かあったら木々原の両親に二人のことは頼んであるから」
「ああ……解った」
「あと、非常食の場所だけど……」
「だーっ!解った解った。大丈夫だから早く行ってこい!」
「わ、ちょっと!僕はただ心配なだけで……」
とうとう痺れを切らした正樹がドアを乱暴に閉じて純を閉め出すと二人は盛大に溜息をついてへたり込んだ。
「つ……疲れたぁ……」
「あの心配性さえ無ければなぁ……」
唯一、弟に対して心配性なことだけが純の短所だった。
不安要素を一つも残して行きたくないのか、とにかく説明、注意をし続けるのだ。
昨年の修学旅行の時には生活の注意事項、いざと言う時の対策などを延々と話し続け、危うく電車に乗り遅れそうになったことがあった。
「まあ、心配してくれるのは悪い気はしないんだけどね」
「……まあな。ちょっとは感謝しておくか」
と、その時またも再びドアが開いて……
「そうそう、言い忘れたんだけど……」
「とっとと行けーーーーーっ!!!」
心の中で前言を即刻撤回した正樹であった。
「お、今日は早かったな」
一足先にバスに乗り込んでいた翔が純を驚きの目で見詰めた。
「まるでいつも遅れるみたいな言い方だね……」
「いや、真実だと思うが」
「ごめん純。あたしもフォローできないわ」
去年のことを思い出したのか、翔の前の席に座っていためぐみも首を横に振った。
「今日は途中で追い出されたんだよ……まだ言っておきたかった事が八個ほどあったんだけどなぁ」
「それは多過ぎだ」
「多過ぎよ」
二人は思わず揃って純にツッコミを入れた。
「心配するのも程々にしなさいよ。その内胃に穴空くわよ……」
「そうかな?」
「正樹たちも子供じゃないんだ。大丈夫だって」
「うん……解った」
どこか釈然としなかったが流石にもう二人とも中学生なのだ。翔達の言うことも一理ある。
たまには自由にさせてみるのも良いかな、と思った純であった。
「まあ、とにかく座れ。もうすぐ発車だぞ」
翔が立ち上がり、純を窓側の席にすすめた。
「あれ、翔。窓側じゃなくて良いの?」
「ああ」
「そう言えば随分前の席だよね。翔って乗り物酔いしたっけ?」
「ううん、私は酔い易いからだけど……翔って乗り物強くなかった?」
めぐみも疑問を口にした。
翔は楽しみを優先する人間だ。
バスや電車の席決めでも窓側を狙うタイプである。
「ちょっと理由があってな」
座った純にニンマリと翔が笑う。
翔が再び座り、しばらくすると発車時刻となった。
走り出したバスの先頭で若いバスガイドの女性がマイクを持って明るく話し始める。
「皆さん。おはようございます」
「おはようございまーす!」
クラスの誰よりも明るく大きな声で翔は返した。
あまりの大きさにバスガイドも目を丸くしていた。
一番驚いたのは後ろから不意打ちを食らっためぐみだった。
「こ、この男は……」
振り向いて文句の一つでも言ってやろうかと思ったその時だった。
「ああっ!」
突然純も大声を上げた。
「セールスマンの対策を教えてなかった……」
さすがにめぐみもズッコケた。
パシャ!
強い閃光が暗い闇を照らした。
突然の刺激に触発され、意識が徐々に覚醒する。
「ん……」
寝ぼけ眼で周りを見た。何時の間にか寝ていたようだ。
既に市街地を抜け、山の中を走っている。
時折咲いている花が緑一色の山道に彩りを見せた。
「みなさん、大変お疲れ様でした。まもなく、高原宿舎『白樺』に到着します」
バスガイドの澄んだ声でようやくはっきりと目が覚めた。
「ふぁああああ……着いたか」
欠伸をしながら隣を見た。窓に寄り掛かりながら幼馴染はまだ寝息を立てていた。
「おい、純。起きろ」
「う…うん?」
体を揺すってやるとようやく純が目を擦りながら体を起こした。
「おーい、着いたぞ」
「うん……わかった……って、うわぁっ!!??」
純が目を開いた途端、窓に飛び退いた。
「………目ぇ覚めたか?」
「う……うん」
「どうした?」
「い、いや……何でもない」
何かに怯えるかのように純は目を逸らした。
「んじゃ、降りるか」
長い着席でなまった体を伸ばしながら翔は立ちあがった。
「あ、翔!」
「どうした?」
「うっ……」
翔が振り向くと再び青い顔をして純が目を逸らした。
「どうした、酔ったか?」
「いや……大丈夫」
「……変な奴だな、先に下りてるぞ」
その時、翔の後ろで、めぐみが笑いを必死に堪えていたのが純には見えた。
「……と言うわけで、えー、これから三日間。こちらにお世話になりますが、学生として恥ずかしくない行動を心掛けるようにしましょう……」
学年主任の長い話が続く中、翔には何か違和感があった。
周りの生徒が微妙に自分と(距離的にも心理的にも)距離を取っているのだ。
皆、時折自分の方を見ては目を逸らし、何かと問い掛けると怯えて避ける。
それは「近づきたくない」と言う意味よりも、むしろ「近寄るな」のニュアンスに近かった。
「……それでは、それぞれ班ごとに部屋に移動してください」
生徒はバラバラと動き出す。
翔も同じ班である純たちの元へ向かった。
「大鷹、ちょっとこっちに来なさい」
そんな中、担任が彼を呼びとめた。
「なんスか?」
「お…お前は人を舐めているのか!?」
開口一番、いきなり怒られた。
「へ……?い、いえ、全然」
「じゃあ何でそんな不真面目な行動をしてる……」
「いたって俺は真面目そのものですけど?」
「そうか、じゃあその姿を見てから同じことを言ってみろ」
しぶしぶ翔はバスのサイドミラーに顔を写してみた。
「んげっ!?」
そこに現れたのは口の周りと眉毛を極太に塗り、頬には丁寧に赤で渦を入れている『化け物』と言うより『馬鹿者』と言った方が適切な不気味な顔。
しかも髪の毛には自分の筆箱に入っているはずのシャープペンシルや鉛筆が刺されてあたかも頭から飛び出たみたいになっていた。
「入学早々こんな生徒に出会うとは思わなかったぞ……」
頭を抱えて担任は嘆いた。
「こ……こんな事をする人間はただ一人……」
脳裏に高笑いを上げる幼馴染が浮かび上がる。
「木々原ーっ!!!」
「あ、翔。やっほー!」
イスに座ったままあっけらかんとめぐみが手を振った。
「てめー、よくもやりやがったな!」
「ふっ……あたしの前でスキを見せるほうが悪いのよ」
食って掛かる翔に手を広げ、めぐみが言う。
顔の落書きが水性ペンだったのはせめてもの救いだった。
「憶えてろよ、この屈辱は何倍にもして償って……」
「これ、なーんだ?」
そう言ってめぐみは携帯のディスプレイを翔に向けた。
「がっ……」
翔の口があんぐりと開いた。
そこに写っていたものは先程のすさまじいメイクのままだらしなくよだれを垂らして寝ている自分の顔。
「あたしの身にもしもの事があったらメモリに登録されているアドレス全てにこれを送るわよ」
笑顔でさらりと恐ろしいことを彼女は述べた。
「ぶ…………」
翔が力無くうな垂れた。
「文明の利器なんて嫌いだ……」
「はいはい。二人ともそこまで」
ゴングが鳴ったところで上から純がめぐみの携帯をひょいと摘み上げた。
「あ、純」
「そんなこと言ってもどうせ後で消去するつもりだったんでしょ?」
「やっぱバレてる?」
純は携帯を操作し、翔の写真を消去した。
「まっ、そう言うことよ。あたしもそこまで外道じゃないわ」
「お……俺って一体」
「まるでお釈迦様の手の平で踊る孫悟空ね」
「お前が言うなーっ!」
血の涙を流して絶叫する翔であった。
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